80歳でもマラソンに挑戦する気持ち

今回は整骨院でのことを書きますので、真面目な話になります。

年齢に関係なく、挑戦すること、謙虚でいることはとても大事なんだと考えさせられたので、今回ブログで書き進めてまいります。

80歳でフルマラソン?!

80歳 男性(Hさん)

9月末に自転車で転び腰と右前太ももの痛みがあり来院

病院に行ったが、骨に異常は無いとのことで薬と湿布を処方されて帰宅

痛みが取れないことにかなりのストレスを抱えている

問診の段階では、ご高齢な方が自転車で転び痛めただけかと思ってましたが、話をしていくと、とても興味深いことがわかりました。

腰周りを触診すると、年齢に反して筋肉がしっかりしてるなとの印象を受けました。

話を聞いてるとかなり活発に行動される方だなと思いました。

そしたら、Hさんの口から驚きの言葉が出てきました。

Hさん『実は2年前(2020年)の鹿児島マラソンにエントリーしていたのですが、中止になり走れなくなりました。』

ぼく『え?!フルマラソン走られるのですか???』

Hさん『はい、コロナが流行る前まで走ってました。』

ぼく『それはすごいことですね。』

Hさん『それで、今度(2022年)の鹿児島マラソンにもエントリーをしようかと思っていたんだけど、お医者さんからは、年齢のことを言われもう辞めなさい、と言われました。』

ぼく『そうなんですね。ぼくは年齢なんかで諦めて欲しくないです。』

Hさん『そうですか?!この痛みはなくなって、走れるようになるのでしょうか?!』

ぼく『100%とは言い切れませんが、痛みは消えると思います。ですので、また走れるようになります。』

Hさん『そうですかぁ…。まだ諦めなくて良いんですね!頑張って治そうと思います!』

このような感じの会話をしました。

畏敬の念と自らの将来像

ぼくはお世辞を言えない性格です。

あるお金持ちと一緒に行動をしていた時、周りの人がその人を持ち上げてるのを聞きながら、ぼくは全く持ち上げることが出来ませんでした。

それくらい不器用だし、コミュ力は低い方だと思います(コミュ障ではありません)。

けど、嘘を言うくらいなら言いません。

ぼくとある程度知り合った方ならわかると思いますが、竹をブチ割ったような性格なんです(。・ω・。)

話がそれました。

元々Hさんは普段からランニングをされたり、示現流(江戸時代の薩摩で主流だった剣術)を20年ほどされたり、詩吟をしたりとかなりの多趣味な方です。

しかし、自転車で転倒してから脚の痛みに悩まされ、マラソンや示現流などを諦めようと考えていたそうです。

Hさんが2回目ご来院された際、これまで常に前太ももに痛みがあったけど、起きた時だけになったとのことでした。

それで尚更Hさんは、走ることが出来るようになるんじゃないかと、前向きになられてました。

ぼく『大丈夫ですよ、一回で痛みが緩和されたということは、走れるようになりますよ。』

Hさん『私もそんな気がしてきました。』

ぼく『鹿児島マラソンに参加されて、もし途中で痛みが出たりしてダメだったとしても、無理はせずリタイヤすれば良いんですよ。』

Hさん『そうですね、そうすれば良いんですね!』

ぼく『示現流も辞めないでください。ぼくが話すのはおこがましいことなのですが、武士はちょっとやそっとの痛みで剣を握ることを諦めたりしないはずです。諦めたら命に関わりますから。だから、Hさんも昔の武士の気持ちに近付く為にも諦めないでください。』

Hさん『確かにそうだなぁ。武士が剣を握らなくなったら死を意味するわけだもんなぁ。』

このような感じの話をしました。

40歳ほど年下のぼくの話を真面目に聞いて頂きました。

その謙虚さにHさんのことがとても好きになりました。

そして、将来自分が80歳になった時、Hさんと同じようにマラソンに挑戦したいし、年齢に関係なく謙虚に相手と話が出来るような人になりたいと思いました。

チャレンジ精神

3回目、Hさんがご来院されました。

脚の痛みは朝起きた時と、じっと座っていた後だけになりました。

この頃から5~7千歩のウォーキングをするようになりました。

むしろ歩いたり動いてる時の方が痛みが出なくなるそうです。

気持ちもとても前向きになられてました。

Hさん『鹿児島マラソンに参加しようと思います!』

ぼく『本当ですか!それはとても良いことだと思います!』

Hさん『途中でダメになってもバスに乗れば良いんだし、無理な時は諦めれば良いんだ。』

ぼく『その通りです。無理と思ったらやめれば良いんです。大会にエントリーしてその目標に向かって練習を重ね、そして大会に参加することがとても大事だと思います。』

Hさん『その通りですね。この脚はそれまでに治りますか?』

ぼく『任せてください!治します!』

Hさん『おぉ!それは頼もしいです!よろしくお願いします!』

ぼく『こちらこそ、よろしくお願い致します!』

このような会話をしました。

80歳にしてこのチャレンジ精神にぼくは感動と共に、尊敬の念を抱きました。

つい先日鹿児島で宝塚を観に行きました。

宝塚で活躍されてる方々は本当に一生懸命です。

他人が頑張ってる姿というのは自然と応援したくなるものです。

舞台に立つまで一体どれだけの練習をしてきたのか、それを想像するだけで涙が出てきます。

あおはる!

4回目、Hさんがご来院されました。

示現流はもうやらないと思っていたそうですが、再び見学に行かれたそうです。

そして、そこで稽古をされてる人たちと話をすると、みるみる元気が湧き出てきたそうです。

最初ご来院された時とは全く違う顔つきになり、落ち込んでいたあのHさんが見違えるように前を向いてました。

ぼくの仕事は身体を治すだけじゃないのです。

心と身体は繋がっていて、心を治すと身体が治る時もあるのです。

もちろん逆も然りです。

まだ治療中ではありますし、鹿児島マラソンに挑戦されるまでHさんとお付き合いしたいし、マラソン会場でお互い健闘を祈りたいし、ゴールで握手をしたいです。

本当にHさんのような人と出逢えて良かったと心から思いました。

そして、この職業をしていて心から嬉しくなるひと時です。

最後にサミュエル・ウルマンの詩を紹介して終わりたいと思います。

青春

若さとは、人生の或る期間を言うのではなく、心のひとつの持ち方を言うのだ。

揺るがない意志、豊かな創造力、抑えようのない情熱、

臆する心を斥ける果敢な勇気、安易さを拒む飽くなき冒険心、

そうした心の状態を言うのだ。

年輪を重ねただけでは人は老いない。

理想を見失った時初めて老いが訪れる。

歳月は皮膚にしわを刻むだけだが、情熱を失う時、精神がしぼんで行く。

思い煩い・疑惑・自信の喪失・恐怖や失望、

こんなものこそ心意気を萎えさせ、

精神を塵芥と朽ちさせる長い年月のようなものだ。

七十歳であろうと十六歳であろうと 人は誰でも持ち得るのだ。

何をか、

驚異への素朴な愛慕心、

夜空の星、そのきらめきにも似た

美しい出来事や思想に対する憧憬、

事態に直面した時の毅然とした挑戦、

未知に対する児童のような強い好奇心、

人生への興味と歓喜。

そうだ、

君は信念と共に若く、猜疑心と共に老いる。

君は自信と共に若く、恐怖心と共に老いる。

希望を見詰める限り若いが、失望した時に老いて行く。

大自然から、人から、

そして、創造主から語りかけられている

「美と喜悦」「勇気と壮大さと力」そうした

メッセージに耳を傾けている限り 君は若いのだ。

こうしたささやきがすべて聞こえなくなった時、

そして、心の奥まで悲嘆の雪が吹き込み、

冷たい皮肉で凍りついてしまった時、

初めて人は全く老い込んでしまうのだ。

〜サミュエル・ウルマン〜

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