アメリカの旅③in New York!

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別れ…そしてニューヨークへ

10/14(月)
この日はニューヨークへ移動。
朝8時のバスに乗り、4時間ちょっとの旅だ。
朝7時過ぎ、ボストン在住の友人と固い握手をして別れた。
論文を書かなければならない忙しい中、4泊5日もの間ぼくらを快く受け入れてくれて心から、本当に心から感謝の気持ちでいっぱいだ。
その気持ちはこの文章を書いてる今でも満たされている。
ぼくは本当に素晴らしい友人を持っている。

もう一人の友人とニューヨーク行きのバスに乗った。
このバスの中でボストンの旅のことを大体書けた。
なんやかんやでニューヨークに着くと、そこは大都会のビル群が広がっていた。


東京とはまた違う高層ビル群に心躍らせた。
もう一人の友人はニューヨークで2年間格闘技をしていたり、サンフランシスコの美大に5年間通ったりしていた。
ニューヨークの旅はこの友人がほとんど取り仕切ってくれた。
そんな彼とニューヨークの地に足を踏み入れた。
ニューヨークでのアテンドはほとんど彼がしてくれた。
本当にありがたい限りだ。
とりあえず着いた足でタイムズスクエアに行き、早速のニューヨークを実感した。
テレビで観たあの光景が目の前に広がっていた。
少しの間感慨に浸り、ホテルへ移動した。
そういえば前日のマラソンの後遺症が自分でも驚くほどほとんどない。
ラストスパートをしなくて良かったと思った。
チェックインの時間はまだ先だったので、ホテルに荷物を預けて観光することにした。
とりあえず高層ビルの最上階へ行くことにした。
今回の旅はとにかくお金がポンポン飛んでいった。
円が安くなってるということもあるが、アメリカのインフレを目の当たりにした。
ただのサラダが2300円、ピザ一切れ1000円、ただのサンドウィッチが1200円、フルーツサンドが1500円、チキンカツが2500円だったりと日本の価格の4倍はあっただろう。


この高層ビルに登るのも60ドルだったので、なんと9000円もしたのだ。


もう二度と来ることもないだろうから払えたが、こんな馬鹿げた値段がまかり通っていることに震えた。
ただビルの屋上に登って景色を見渡せるだけで9000円か…と嘆きながらもとりあえず景色を楽しんだ。
他にもトランプタワーや大聖堂に行ったりと観光を楽しんだ。
少し早いけど、スーパーで夜ご飯とお酒を買い17時過ぎにはホテルへ帰り着いた。
前日のマラソンの疲れもあったからか、もしかしたら人生で初めて寝落ちした。

ニューヨークを走ったり観光したり

10/15(火)
夜中の3時には目が覚めてしまい、なおかつその後寝れなくなったのでそのまま起きた。
7時に朝食を食べてから走りに出かけた。
世界経済の中心でもあるニューヨーク証券取引所へ行き、そこの象徴でもあるでっかい牛の写真を撮った。


その後近くにある有名なブルックリンブリッジという橋や、自由の女神を遠くから観たりしながらホテルまで走って帰った。

その後世界三大美術館のメトロポリタン美術館に行きよくわからない芸術を楽しんだ。
最も印象に残ったのはこの美術館の中のカフェで販売しているフルーツサンドが1500円、チキンカツサンドが2500円だったことだ。
かなりお腹は空いていたが、水を胃に流し込み飢えを凌いだ。


一度ホテルへ帰りスーパーで買った遅めの昼ご飯を食べた。
少し休憩した後、ブロードウェイを観に出かけた。
想像していたものとは違ったが、生の劇をフォーフォー言いながら楽しんだ。

本当はジャズも聴きたかったのだが、友人曰くそこまで大したことはないとのことだったので行かなかった。
旅は予定を立てることを楽しんで、想定外のアクシデントと折り合いを付けながら楽しむものだ。
今回の旅ではジャズの優先順位が低かったということ。
ホテルへ帰り、18時間の疲れを全身で感じつつ倒れるように寝た。

帰国帰郷

10/16(水)
ついに日本へ帰る日となった。
あっという間の旅だった。
帰りの飛行機の中ではマラソンのことを書くことから始まり今に至る。
羽田に着くまで残り約2時間となった。
腰が砕けそうになりながら、時折トイレに立った時に軽く動かしたりして時を過ごしている。
日本に着くのは日本時間10/17(木)14:30の予定。
時差ボケをしないように睡眠を調整している。
羽田から鹿児島のフライトはもしもの時のために時間に余裕を持って到着から約3時間後にしてある。
鹿児島に帰り着くのは21時台だろう。
まだ家に帰りついてないが今回の旅の総論を書く。

と思ったが強い睡魔が来たので一度寝る。

軽食の時間で起こされた。
コーヒーと水を頼んだら紅茶が出てきて、まぁ良いやと思ったら「すまんすまんコーヒーだったね。」と飲み物が3つになりお腹がタポタポである。
さて、総評の時間だ。
今回は冒頭でも書いたが運良くアメリカに行くことができた。
そして運良く二人の友人のおかげで何不自由なく旅を満喫することができた。
まさに運が歩いてる男を体現した旅となった。

少し話が逸れるが大事なことなので書く。
ぼくは昨年度まで三年間娘の小学校のPTA会長をした。
馬鹿げた組織の改革を成し遂げた。
その際、PTAが好きで好きでたまらない極小数の人間から攻撃された。
本当に気が狂ったような人たちと相対した。
普通の人だったら狂うレベルで攻撃されたが、ぼくは普通ではないのでサクッとやり過ごした。
サクッととはいえそれなりの労力を要した。

「人生はプラスマイナス0である」

北島三郎の言葉だ。
PTA改革で徳を養った分が、今回の旅で返ってきたとぼくは心から信じている。
そうでないとこれだけの運の説明がつかない。
精神的な面で、本当にPTA改革なんてやらなければ良かったと思っていたが、今回の旅のことを思えばやって良かったと思える。
どうやら見返りを求めてないことは、何かしらで返ってくるようだ。
最高の友人二人に対する最大限の感謝の気持ちと、快くアメリカへ送ってくれた家族と患者さん方への感謝の気持ちで心がいっぱいいっぱいだ。
心からありがとう。

羽田まで残り30分となった。
このまま無事に着陸することだろう。
約14時間という途方もない時間を、時折隣の席の温暖な国から来た外国人と談笑したりして過ごした。
羽田に着いたら「Welcome to Japan!」と握手をしようと思う。
自分がそうだったように、彼の旅が最高のものになることを願って。

薄氷の腰が砕けそうなこの時をもって旅の総評を終わりたいと思う。

長文をご覧いただきありがとうございました。

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