アメリカの旅①in Boston

2024年10月にアメリカへ行った時のことをインスタに書いていたのですが、ブログに転載するのを忘れていました!

三回に分けて投稿しますので、是非ご覧ください!

敬語略してます!

目次

鹿児島からボストンへ

10/9(水)
鹿児島を旅立ったのが日本時間8:30。
11時の羽田行きに乗り12:45頃着き、今回一緒に旅をする友人と14時頃に合流。
彼は俳優、カメラマン、編集などを手掛ける仕事をしている。
そんな彼は脚本家を目指しているとのこと。
脚本家になるには演じる役者や撮影者、編集者など脚本に関わる人たちの気持ちがわからないといけないと思い全ての職をしているとのこと。

ニューヨークのビル群

16:30羽田発、ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港にニューヨーク時間の10/9(水)16:10頃着き、ボストン行きの電車に乗るため移動し、19:50発の電車を予約し、0:15ボストンに着いた。
ボストンにいる友人が駅まで迎えに来てくれた。
久しぶりの再会を異国の地で出来たことを喜び合い、彼の家まで移動した。
彼の家に着き、ボストンのビールで再会に乾杯。
積もる話もあるが、彼は次の日仕事だったので2時間ほど話して就寝。
時差ボケもあり中々寝れなかったが、まぁそこまで酷いものではなかった。

ボストンは人口約65万人中、20〜25万人が学生とのこと。
大体1/3が学生とは驚きの数字だが、世界ランク1位のマサチューセッツ州工科大学(MIT)を筆頭に世界的有名なハーバード大学(世界ランク4位)やボストン大学、音楽大学で有名なバークリー音大などがひしめき合う街だ。

ボストン観光

10/10(木)
この日の午前中はボストン美術館へ行き様々な美術品を見た。
ゴッホ、ダリ、ゴーギャン、葛飾北斎など有名どころがたくさんあった。
1日かけて見るくらい様々な美術品があったが、時間的余裕がなく3時間ほどでそこを離れた。

その後、マサチューセッツ州工科大学(MIT)へ移動し見学。
世界一の頭脳が集まっている大学だ。
そんなに長い時間いたわけではないが、日本人を一人もみかけなかった。
多分どこかにいるとは思うのだが、日本の国際競争力を考えると残念な気持ちになった。
日本人にはどんどん海外へ出て知見を広めて欲しい。
それは若い人だけでなく、全ての年代において言えることだ。
当然ながら若ければ若いほど良い。
ぼくも出来るものなら今すぐにでもボストンのどこかの大学へ留学したいが、今は難しいのでいつか出来たら良いなと思っている。

学ぶことは年齢に関係なく、一生続けていくものだと思う。
それは学術的なものだけでなく、様々なジャンルでの学びだ。
日本という狭い空間に居ては中々出来ないので、海外に飛び出して欲しい。
海外が全て良いということではなく、むしろ日本の方が圧倒的に良いところが多い。
しかし、日本に居るだけでは日本の良いところに気付けないのだ。
そして世界は広い。
今回はボストンに来ているが、数年前のインドの旅ではインドの世界があるように、様々な国を直接体験することでしか得られない大切なものがある。
自分の肌で感じ自分の頭で考え自らの意思で行動する、そんな当たり前のことがとても大事なのだ。
お金や時間が無いから出来ないと思っている人は今一度考え直して欲しい。
ぼくにも家族がいて仕事もしている。
そんな中でもこうして海外へ行けている。
一年前から計画を立て、そこに向けて行動した。
確かに今回はラッキーなことで資金面をクリア出来たり、友人二人の助けが非常に大きかった。
しかし、ただ座っていて運が舞い降りてきたわけでは決して無く、行動したことで勝ち得たものだという自負がある。(そのことも最後に総評として書く。)
目の前の楽しいこと楽なことだけを見るのではなく、苦労をしたその先にあるものを想像し、見据えた行動して欲しい。

話が大幅に逸れた。
MITを離れ友人宅へ向かった。
スーパーで買い物をして帰宅。
適当に料理をして再会の晩餐が始まった。
18時くらいから飲み始めたが、結局寝たのは夜中の3時だった。
お互いの近況を話し、泣いたり笑ったり本当に楽しい最高の時間を過ごすことが出来た。
次の日強烈な二日酔いで昼まで起きれなかったけども…。

10/11(金)
二日酔いにより正午から行動開始。
友人の職場へ行き、世界最新の機械の説明を受けながら腎臓についてレクチャーを受けた。
友人の職場の方々と談笑し様々な知見を得ることもできた。
世界でも10本の指に入る腎臓研究のラボとのことだった。
しかし、そもそも彼が日本で所属しているところも世界で10本の指に入るらしい。
今回彼がハーバード大学のラボに来たのは、ここにしかない機械での取り扱いや研究方法を学び日本に持ち帰ることが目的とのこと。
今彼が書いてる論文が結構良いものになる可能性があるらしく、それらが認められたら数年後彼は大学の教授になる可能性があるとのこと。
それが実現し、彼が考えてる道筋でことが運べば彼は偉大な小児腎臓の権威となるはず。
今の時点で彼がもつ技術や知識が西日本でも屈指のものであることを考えれば当然のことだろう。

彼の職場を後に、ハーバード大学へ移動。
今回講義を受けれると思っていたが実現せず。
ハーバード大学は観光地の一つとしての側面もあった。
大学周辺がハーバード一色であり、それで街が成り立っていた。
最初にも書いたが、ボストンは学生の街である。
総人口数はそこまで多くないが、とにかく若者で溢れかえっていた。
日本の地方自治体はボストンをモデルケースとして動くべきだ。
寧ろ早く動いた地方に圧倒的優位性が生まれる。
これから(すでに始まってる)の日本の大きな問題として地方の荒廃がある。
とにかく地方から若者が居なくなっている。
鹿児島は顕著にその影響を受けている都市の一つだ。
特に女性の鹿児島離れが著しいとのこと。
様々な方法で若者を呼び込むことをしているのかもしれないが、その結果は伴っていないのが現状だ。
そこでボストンのように学生を集めることが得策だと思った。
その為には鹿児島大学を筆頭に世界屈指の大学を創る必要がある。
世界の頭脳を集めることは難しいかもしれないが、世界でも特色ある大学にすれば若者が必ず集まる。
その為には大学への資金が必要となる。
鹿児島大学でさえ現状は悲惨な状況だ。
とにかく予算が無く、したい研究が出来ないのだ。
研究とは時間もお金もかかるものだが、より競争的なものにすれば必ず人とお金は集まる。
ボストンにいる友人はそれらのノウハウも得て日本に帰国することとなる。
彼は小児腎臓の権威としてだけでなく、地方創生の未来をも握っているのだ。
しかし、彼はそこまで考えているわけではなく、とにかく臨床の場が好きとのことだ。

話を現実世界に戻そう。
ハーバード大学を後に友人宅へ移動。
この日はお酒も飲まず、適当に食事を作りご飯を食べながら腎臓の話をたくさん聞けた。
こんなに勉強になることはそうそうないので本当にボストンに来て良かったと思った。

10/12(土)
前日は二日酔いで走れなかったので、この日の朝に大会前だが10kmほどボストンをランニングした。
ランニングを始めて良かったことの一つに、見知らぬ土地を走って散策できることがある。
自分の脚でしか見て回れない細かい部分まで見ることが出来る。
ボストンの朝は肌寒く、湿度も低くとても走りやすかった。
何よりもボストンをランニングしていることに心躍った。

帰宅後今回の旅のサブイベントであるマラソン大会の会場へ向けてバスで移動。
移動中も腎臓に関するレクチャーを友人から受けた。
ボストンから移動すること1時間半、目的地のケープコッドに到着。
バス停から少し歩くと今回の大会のスタートフィニッシュ地点の小学校に到着。
ビブを受け取り、会場で少し買い物をしてホテルへ移動。
ホテル近くのスーパーで適当に食べ物を買い、明日の計画を練りながら食事を済ませ就寝。
しかし、まだ時差ボケが完全に治っていないことと、緊張から1時間くらいしか寝れなかった。

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