風の返事

ゴールデンウィークの余韻がようやく静まり、街にもゆるやかな日常が戻りはじめたある日、一通の手紙が届いていた。
食卓の上に無造作に置かれた封筒を裏返し、差出人の名前を見た瞬間、胸の奥でなにかが小さく震えた。
最後にやり取りをしたのは、もう7年も前のことだった。
けれど最近、その人のことを思い出す出来事があった。
偶然にしては出来すぎていて、何か目に見えない力に導かれているような気がした。
封を開ける手が、喜びで踊っているように軽快に動いていた。
あたたかい再会を告げる便り、そう思いながら読みはじめたその手紙には、まったく違う現実が綴られていた。


10年ほど前、ぼくが航空学生だった頃のブログ記事をきっかけに、あるご夫婦が整骨院を訪れた。
彼らの息子さんも、同じくパイロットを目指す航空学生だという。
手紙を通じて、パイロットになれたことやご主人の転勤についての近況をやり取りした。
しかし、ぼくの怠惰が重なり自然と連絡が途絶えていった。
そして届いた今回の手紙には、息子さんが殉職されたことが記されていた。
言葉が出なかった。
手紙を読み進めることができず、封筒に戻して静かな部屋へ移動した。
何度目を通しても、現実は変わらない。
彼の名前をすぐに検索した。
画面に映ったニュースには、事故のことと共にあの青年の名前がはっきりと記されていた。
愕然とした。
涙がとまらなかった。

状況を考えるに、彼はあえて人のいない場所へと機体を導いた。
ひとりでも多くの命を守るため、自らの命を代償に。
返事を書こうと机に向かうも、手が動かない。
思い浮かぶのは、ご両親の顔、整骨院で交わした些細な会話、そして、笑顔で語ってくれた息子さんの近況…。
脚を怪我していて走れなかったはずなのに、じっとしていられず、無理を承知で外に出た。
走り始めるとやはり痛かったが、それでも歩いたり走ったりしながら、桜島が見渡せる場所までなんとか辿り着いた。
風が頬を撫で、桜島が静かにたたずんでいた。
そこで手を合わせ、静かに祈りを捧げた。
目を開け、踵を返した時、脚の痛みは不思議と消えていた。
帰宅してから、ようやく返事の手紙を書き上げた。
「いつでも会いたい」と添えた。
会って何をしたいわけでもなく、ただただそばに寄り添いたいと思った。


10日ほど経った夜、見知らぬ番号からの着信があった。
電話口から聞こえたのは、女性の声だった。
最初は分からなかったが、整骨院で交わしたあの丁寧な言葉づかいを聞いて、すぐに思い出した。
奥さまだった。
電話口の声は気丈にふるまっていたが、その言葉の裏にある深い悲しみが痛いほど伝わってきた。
一言二言昔話をした後、息子さんの話に移った。
ぼくは何も言えず、ただ耳を傾けることしかできなかった。
ただただ、凄惨な状況だったということはわかった。
会話の終わりに、彼が所属していた基地で葬送式があるということを聞いた。
行くかどうか、迷う理由はどこにもなかった。
ぼくは行かなければならなかった。


葬送式当日、朝早く家を出た。
灰色の雲が低く垂れ込め、まるで空までもが喪に服しているようだった。
式に参列できるわけではなかったが、一目だけでも、ご両親に会いたかった。
運転しながら、何を話すべきか考えたが、結論は出ないまま待ち合わせ場所に着いた。
そして、10年ぶりの再会。
ぼくはただ黙って、深く頭を下げた。
近くの席に着き言葉を交わし始めた。
聞き役に徹すべきだと分かっていたのに、怖さからか、ぼくは自分の言葉で沈黙を埋めてしまった。
ご主人が横の壁を向いたまま、震える声で言った。
「生きていてほしかった…」
その言葉を聞いた途端、ぼくはずっと我慢していた涙が溢れてきた。
出がけにハンカチを忘れ、少年のように手で目元をぬぐった。
棺の写真を見せていただいた。
そこに彼の姿はなく、作業着と帽子が静かに置かれていた。
その静けさが、現実をより強く物語っていた。


葬送式の時間が迫り、ご夫婦は準備のため一度部屋に戻られた。
その間、彼と共に空を飛んだ同僚の方と言葉を交わす機会があった。
言葉よりも、その表情の奥にある哀しみが、すべてを物語っていた。
ご夫婦が戻り、少しの言葉を交わしたあと、別れの時が訪れた。
気づけば、ご主人の手をぎゅっと握っていた。
頭を下げ、涙を流しながら無言で力強く握り締めた。
手を放し、奥さまにも同じように握手をしようと横を向くと、手を広げて抱きしめてきた。
一瞬戸惑ったが、ご主人がうなずくのが見えて、そのまま抱きしめ返した。
その体は細く、小さく、壊れそうに感じた。
まるで、その瞬間だけ、息子さんと抱き合っているかのように──そう思えてならなかった。
込み上げる想いに、また涙が止まらなかった。
やがて腕の力がゆるみ、ご夫婦はバスに乗って葬送式へ向かった。
バスに向かって頭を下げ、見えなくなるまで見送った。
しばらくその場に立ち尽くした。
夢の中にいるような感覚に包まれながらも、手と腕に残る温もりだけが、確かな現実だった。


ぼくには、もうひとつやるべきことがあった。
基地を一望できる高台にある献花台を目指し、車を走らせた。
先ほどの感覚が抜けないままいつの間にか目的地に到着した。
車を降り、花束を手に歩を進めた。
待機されていた隊員と無言で礼を交わし、花を供え、静かに手を合わせた。

「君の死は本当に残念です。これまで日本を護ってくれてありがとう。そして、命を賭して職務を遂行したことを、心から尊敬します。これからも空から日本を、ご家族を見守ってください。安らかにお眠りください。」

目を開けると、心地良い風が吹いた。
30度を超える暑さの中で、それはまるで彼の返事のように優しく頬を撫でた。
献花台の先に進み、いっとき基地を眺め、踵を返して車へ向かった。

その後、自宅に戻り、ネットで事故の記事を再び見た。
多くの人が彼を悼み、感謝の言葉を寄せていた。
けれど、ごく一部には心ない言葉もあった。
かつてPTA会長を務めていた頃に浴びせられた、見えない誰かからの言葉の暴力を思い出した。
たった一言の無神経な言葉が、人の心をどれだけ深く傷つけるかを、ぼくは知っている。
もしかしたらご家族や関係者の方々が悪意あるコメントを見て心を痛めてるかもしれない。
だからこそ、強く願う。
どうか、ご家族には、届くべき声だけが届きますように。
多くの人が彼を悼み、敬意を示していた。
その事実だけは、ご遺族や関係者の方々に届いてほしい。


命はいつ終わるか分からない。
だからこそ、今日を懸命に生きるしかない。
前を向いて、また走り出そう。


殉職された方々へ、深い哀悼を。
そして、ご遺族の皆さまへ、限りない祈りを込めて。

		

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